キラキラなできる先輩
皆さんも社会人も板につき、上司からも一目置かれる存在になり、無事に昇給をした頃、新入社員と飲みに行き、得意げにさらりと魔法のなんでも買える金色のプラスチックカードでスマートに会計をしていわゆる「できる先輩」を演じた経験はないだろうか。
(え?Z世代の我々は先輩と飲みになんて行きませんよ。タイパ悪いし。とか普段は在宅勤務なので職場の人とかは年に数回しかリアルと会わないです。とかそういうのは一旦忘れて読み進めてくださいw。)
自分の未来像とできる先輩。
新入社員からしたら自分よりも社歴が長く仕事のできる先輩が身につけているスーツ、鞄、靴や時計なんかはキラキラと輝いて見えるのだろう。で、ふと思う。自分もこの会社で頑張ればできる先輩のように「キラキラお金持ち」になれるのだ。
こんなキラキラ先輩(未来の自分)はいくら稼いでいるのだろうか?
たくさんお金があることはしあわせなのか?
私は、新入社員や若手など人とお金の話になった時のために鉄板の質問を用意している。私はおどけた感じで、
「えー、毎日お寿司やステーキは食べられないよ。」「服だって毎月10万円買い続けるのも難しいよ。」「いくらあったらしあわせだと思う?」
と聞くのである。
そうすると大体は、
私は欲しいものがいっぱいあるからいくらあってもいいんですよ。お金は腐らないし。欲しいものがないなら代わりに遣ってあげますからください。
といった感じになる。
”それから?”("Then what?")「労働倫理の低下に関する逸話」
ハインヒ・ベルの物語
以下引用を翻訳したものである。
引用元はAnekdote zur Senkung der Arbeitsmoral - Wikipedia
ヨーロッパの西海岸にある名もない港を舞台にした物語である。洒落た身なりの進取の気性に富んだ観光客が写真を撮っていると、みすぼらしい身なりの地元の漁師が漁船の中で昼寝をしているのに気づく。観光客は漁師の仕事に対する怠惰な態度に失望し、漁師に近づき、なぜ魚を捕らずにごろごろしているのかと尋ねる。漁師は、午前中に漁に出たので、次の2日間はこの小さな獲物で十分だと説明した。
観光客は、1日に何度も魚を獲りに行けば、1年以内にモーターを、2年以内に2隻目のボートを買うことができる、と言う。観光客はさらに、漁師はいつか小さな冷蔵倉庫を建て、後には漬け物工場を建て、ヘリコプターで飛び回り、魚料理レストランを建て、仲買人を通さずにロブスターを直接パリに輸出することだってできると説明する。
淡々とした漁師は、"それから?"と尋ねる。
観光客は熱心にこう続ける。"そうすれば、心置きなく、この港に座って、太陽の下でうとうとしながら、輝く海を眺めることができますよ"。
「でも、もうすでにそうしている」と漁師は言う。
悟りを開いた観光客は、漁師を憐れむ気持ちは微塵もなく、ただ少し羨ましく思いながら、物思いにふけって立ち去った。
これは、似通った話を見聞きした人も少なくないと思うが、MBAなんかでよく出てくる話の一つである。余談だが、最も人気のあるバージョンのひとつは、旅行者はアメリカ人のハーバードのMBA修了者で漁師はメキシコ人のようだ。
皆さんはどのように感じたであろうか。
この話はしあわせについて考える機会を与えてくれる。
新入社員の頃のように、欲しいものがあってそれを追い求めている状態もしあわせに感じるし、ある程度年齢を重ね、太陽の下でうとうとしながら輝く海を眺めるのもしあわせに思える。
さて、改めてしあわせとはなんだろうか?
たまにはしあわせについて物思いに耽るのもしあわせな午後のひと時ではないだろうか。うーん、しあわせとはなんだろう。